島に移住

雑記

今から33年前の1990年3月初めに西表島に移住してきました。親には住所だけははっきりしろと言われたので石垣空港に着いてそのまま竹富町役場に行ってすぐに転居届を提出したのを覚えています。

実はその前の1989年の12月に一度西表島には訪れてすぐにでも移住するつもりでしたが、オフシーズンに入る為、3月からと言うことでその間は地元のメッキ工場でアルバイトをして小銭を貯めて島に来ました。

荷物は段ボール数個と空手道場から餞別で頂いたのでサンドバックを宅急便で送ってそこから島の生活が始まりました。

当時のアシスタントインストラクターの資格はありましたが、現地サーンスの経験は無くダイビングの仕事を覚える為の修行のつもりでやってました。その思いもあったので月の給料は3万円でも全く苦にならなかった。お小遣い程度の支給でしたが、衣食住の住は無料で時々食や衣の方も頂き、インストラクターになる費用や船舶免許、その他の資格取得の費用はすべて払って頂きました。当時はお酒をほとんど飲まないしタバコは全く吸わないので食事以外でお金が必要なく困ることはなかった。感覚的には修行で来てるのでとにかく毎日海に潜れればいいやって考えでした。

33年前の西表島の観光はほぼ9割はダイビング客、他の1割は昆虫採取や自然好きな方。ダイビング業者は8業者しかなく、それ以外のマリン業者は全くない。今一番多いカヌー業者も存在していなかった。

その数件しかない島のダイビングサービスが当時日本のダイビング業界を引っ張って行ってたのを今でも鮮明に覚えています。今あるスタイルはほぼここ西表島からスタートしたものです。そんな場所だからダイビングの修行をしたいと言う強い思いがあったので島に来ました。

島に来る前のことはすごく覚えていて、まだ見ぬ島の景色をしょっちゅう夢で見ていて、来てからそれがデジャブーのように夢見た景色と同じ景色を見ることが何度もあり、それ位ここに来たかった思いがあったんだなと思います。

夢と希望に溢れた21歳の春でした。

 

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